廣布山・霑妙寺は九州で最初の日蓮正宗寺院で、明治時代に妙寿日成貴尼が筑後地方の人々を布教し建立されたお寺です。

(沿革)
日蓮正宗総本山第52世日霑上人の弟子公謙房日成尼、九州開教の大願を発し、明治9年8月久留米庄島竪町今村武七を訪ね、以来折伏弘教に専念し、明治17年3月4日、宗教法人を認可され、同8月現在地に新寺院建立し九州扶養の先駆をなし現在にいたる。

(法華講)
日蓮正宗には、日蓮大聖人の仏法を正しく実践するための信徒の集まりとして「法華講」があります。
法華講という名称は、大聖人によって名付けられた由緒あるものです。
日蓮正宗総本山の信徒は、この法華講の一員として、所属する寺院に参詣し、御僧侶の法話や講員同士の体験などを通じて自らの信仰を深め、社会に貢献する人材になるよう努めています。

大日蓮出版「日蓮正宗」より

(霑妙寺へのアクセス)

(妙寿日成貴尼)
明治初期、日本は西洋の思想、文化、社会制度を積極的に取り入れ、一気に近代化を押しすすめました。。「文系開化」と称された息吹あふれるこの時代、日蓮大聖人の正系である大石寺の信仰を大いに専用し、大御本尊のもとに多くの人々を導いた偉大な女性が現れました。「九州開導の師」と謳われ、近代宗門史その名を刻む妙寿日成貴尼です。姓は佐野、法号は朝山阿闍梨広謙房日成尼大徳です。「妙寿日成貴尼」との呼称は得道授戒の際、総本山第五十二世日霑上人より、道号を「妙寿日成」と賜ったことに起因します。

九州開導の師 妙寿日成貴尼伝